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宮川香斎施釉 明石蛸壷水指(飛来一閑造塗蓋付)(武者小路千家 十二代 愈好斎書付)(共箱)
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(税込 ¥85,800)
通常価格 ¥120,000 (税込 ¥132,000)
状態非常によい
素材陶器・木・漆
状態は大変良いです。

商品番号:7141635

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武者小路千家
 千利休を祖とし、二代千少菴を経て三代千宗旦の次男一翁宗守からはじまる。官休庵ともいう。歴代の名乗りは宗守。
● 四代 一翁宗守 1605~1675
塗師吉文字与三右衛門の養子になり甚右衛門と名乗っていたが、吉文字屋の
業を娘婿の中村宗哲に譲り千家に復した。
 高松松平候に茶頭として仕えたが、辞して武者小路小川に官休庵を建てて武者小路千家を開いた。
●五代 許由斎文叔 1658~1708
 はじめ甚四郎、のち宗守と改める。四代一翁宗守の子。
 一翁宗守に続いて高松松平候に仕えた。
 古器の鑑識に長じたとされる。
●六代 静々斎真伯 1693~1745
 幼名は重治郎。五代許由斎の子。
 筆蹟や好み物などから、才気、好芸の人で手作り茶碗も多い。また同家伝来の木守茶碗を自ら写し、本歌を高松松平候に献上した。
 延享二年、五十三歳で亡くなる。
●七代 直斎堅叟 1725~1782
 幼名は久之丞、節翁・一方庵・弘道庵と号す。六代静々斎の養子となった。
 好みの茶道具に名取河香合、源氏車香合などがある。安永元年(1772)火災により建物を焼失したが同三年の一翁百回忌を迎えるに当たって再建した。
 またその際に邸内の一隅に一方庵、十五畳敷の広間弘道庵の両席が好まれた。
武者小路千家中興の祖とされる。
 天明二年五十八歳で亡くなる。
●八代 一啜斎休翁 1763~1838
川越兵庫頭の子、二十歳で七代直斎の養子となった。円明、渓澗、一方庵、
半宝庵、披雲庵と号した。
 好みものが多く、ツボツボ棚、烏帽子棚、自在棚など新しい趣向の棚物がある。
 天保九年七十六歳で亡くなる。
● 九代 好々斎仁翁 1795~1835
はじめ宗什、玄室、宗屋といったが、のち八代一啜斎の婿養子となり、好
斎と号した。裏千家九代不見斎の三男。
 自作の茶杓や手作り茶碗も多く、楽焼以外に尾張の御深井などで志野風のものなどかなり多く残されている。
 天保六年亡くなった。
●十代 以心斎全道 1830~1891
 表千家十代吸江斎の弟で六歳のときに九代好々斎の養子になり武者小路千家に入り宗守を継ぎ、全道と号した。
 八歳で失明したため好々斎の未亡人宗栄が門下の木津宗詮の協力を得て家職を代行したが、引き続き表千家より養子を迎え次を継がせた。
 以心斎は代を譲ったあと宗安と号した。
 明治二十四年、六十二歳で亡くなる。
●十一代 一指斎一叟 1848~1898
 表千家十代吸江斎の次男、五歳のとき十代以心斎の養子になり、はじめ宗屋、のち宗守を継いだ。
 現在残されている祖堂(涛々軒)は一指斎の指図によるもの。達筆で七歳ごろの一行物が残っている。
 明治三十一年五十一歳で亡くなる。
●十二代 愈好斎聴松 1889~1953
 久田宗悦(表千家十代吸江斎の三男)の次男。五歳のときに十一代一指斎の養子に入る。はじめ宗屋、のち宗守を継いだ。一指斎が亡くなったあと門人の廣瀬露香、木津宗詮が家元を代行した。
 東京帝国大学史学科を卒業後茶湯の世界にはじめて論理的な批判を加え新風を打ち立てた。大正十五年(1926)官休庵を改築、昭和十五年の利休三百五十年忌には、弘道庵を再建した。著述も多数ある。
 昭和二十八年六十五歳没。
●十三代 有隣斎徳翁 1912~1999
 神戸の島屋に生まれ、十二代愈好斎の婿養子になった。はじめ宗屋、のち宗守を継いだ。
 京都帝国大学国史科卒業。昭和十六年に愈好斎の娘澄子と結婚、昭和二十八年に家督を継いだ。
 千茶道文化学院の創設、財団法人官休庵の設立に尽くした。
 平成元年に家督を譲り、宗安と号した。平成十一年八十六歳で亡くなる。
●十四代 不徹斎宗守 1945~
 十三代有隣斎の長男。はじめ方一、のち宗屋を名乗る。
 慶應義塾大学卒業、昭和五十五年から海外で講演や茶会を催し茶道の紹介に尽くしている。
 平成元年に十四代を継いだ。
宮川香斎(みやがわ こうさい)
陶芸家。江戸時代より続く京焼の名門。
宮川家はもともとは滋賀湖北坂田郡宮川村の出で、宮川小兵衛政一の代に京都に移り住み、その長男である治兵衛政重が五条坂で茶碗屋を始めた。
・初代 宮川香斎(1819~1865)
 宮川治兵衛春房の長男として生まれる。号は香斎・赤こん。
嘉永年間(1848~54)の始め頃に「香斎」を名乗り、以降香斎の名が
継承される。
・二代 (1846~1922)
初代宮川香斎の養子。本名熊二郎。号は香斎、善翁、治兵衛(隠居後)。
真葛ヶ原に開窯していた宮川長造に師事し、寅之助(初代宮川香山)達と作陶する。
1911年に西本願寺の親鸞聖人六百五十年大遠忌で、一文字呉器写茶碗の御用命を頂き作陶。1913年に長男・周造に家督を譲り隠居した後治兵衛を名乗る。
・三代 (1894~1919)
二代宮川香斎の長男。本名周造、号は香斎、光誉。
1913年に三代宮川香斎を襲名。
・四代(初代 真葛香斎)(1897~1987)
三代宮川香斎の次男。本名金吾、号は香斎・永誉・治平(隠居後)。
1909年に京都徒弟伝習所轆轤科に入所し、卒業後は家業に従事した。1913年に四代宮川香斎を襲名。1915年頃には北大路魯山人が作陶の手ほどきを受けに陶房を訪れた。
1929年に久田家十一代無適斎宗也に入門し、以後茶道具の制作に専念する。1934年、無適斎宗也より「真葛焼」の箱書を授かり「真葛香斎」を名乗る。
1972年、婿養子・三喜重に家督を譲り隠居し、治平と名乗る。
・五代(二代 真葛香斎)(1922〜)
東京生まれ。本名三喜重。旧姓杉本。号は香斎・治平(隠居後)。
1946年、四代香斎の長女と結婚し宮川家に婿入りし、1972年に五代宮川香斎および二代真葛香斎を襲名。
表千家13代即中斎宗左より「真葛」の印を授かる。
2002年、養子・和男に家督を譲り隠居、「治平」と名乗る。
久田家十一代無適斎宗也の死後、十二代尋牛斎宗也の指導のもと茶陶を制作した。
・六代(三代 真葛香斎)(1944〜)
京都生まれ。五代宮川香斎の養子。本名和男、号は香斎。
東京造形大学美術学部彫刻専攻を卒業した後、京都の窯元で作陶を始める。1976年に真葛窯に入り五代宮川香斎の補佐を務め25年間五代の元で技術を磨く。2002年に六代宮川香斎(三代真葛香斎)を襲名し、大徳寺僧堂龍翔寺嶺雲室・高田明浦より「真葛」の印を授かる。
現在は真葛の当代として息子の真一氏とともに、伝統を生かし茶道具を主に製作している。国内各地で多くの個展を開催している。
飛来一閑
 千家十職、一閑張細工師。
●初代 一閑 1578~1657
 中国明代の人で寛永年間(1624~1644)に来朝帰化して京都に住し、飛来を姓とし飯後軒、朝雪斎、金剛山人、蝶々子と号した。
 一閑張を創始し千宗旦が愛用したことから世に知られた。晩年は大徳寺の清巌宗謂に帰依し、また書画をよくした。
 以後代々一閑を名乗り、一閑張の技法を伝えた。
●二代 一閑 ?~1683
 通称は才右衛門。近江(滋賀)安土で育ったがその事績は詳らかではない。
 剃髪後一閑を名乗り以後それが歴代の慣わしとなった。
 二代一閑には姉のゆきがおり堂上に仕官する岸田喜右衛門に嫁いだ。喜右衛門は京の烏丸付近で一閑張を職としこれを岸一閑という。
●三代 一閑 ?~1715
 二代一閑の子。祖父初代一閑の伝書を携えて叔母のゆきを頼り、ゆきから一閑張細工を伝承され一閑張を再興した。
●四代 一閑 ?~1733
 四代より表千家の出入りとなり六代碌々斎の御用に従ったと伝えられる。
●五代 一閑 ?~1741
 通称は才右衛門。
 「茶器名物図爲」に表千家七代如心斎の愛護を受けて、羽箒、円座などを製したと伝える。
●六代 一閑 ?~1746
●七代 一閑 ?~1750
 六代一閑の子、通称才右衛門。早世したと伝えられる。
●八代 一閑 ?~1753
 六代一閑の子で七代一閑の弟。
 兄の早世に伴って家督を継いだものの八代も早世した。
●九代 一閑 ?~1788
 六代一閑の女婿。宝暦八年(1758)に現在の出水通油小路に移住した。
 天明の大火に遭い、約四ヶ月後に亡くなった。
●十代 一閑 ?~1830
 九代一閑の子。通称才右衛門。十代以後才右衛門を通称とすることが慣わしとなった。
●十一代 一閑 1791~1872
 幼名は弥太郎、才次郎、また花丸一閑・ウリ一閑と俗称された。別号の有隣斎から有隣一閑とも称され、初代以来の名工の名を得た。
 初代一閑の二百年忌に籠地四方盆を二百枚つくっている。
●十二代 一閑 1822~1897
 十一代一閑の次男、幼名才二郎。
 兄の早世に伴って家督を継いだ。
●十三代 一閑 1859~1913
 十一代一閑の早世した長男の子。明治二十八年(1895)に叔父の十二代一閑から家督を継いだが、大正二年剃髪をしないまま生涯を終えた。
 有水と号し俳句に長じた。
●十四代 一閑 1894~1977
 十三代一閑の長男、幼名は駒太郎。
 二人の実子が戦死したため、のち十五代一閑を養子に迎えた。
●十五代 一閑 1926~1981
 三十五歳で飛来家に養子に入り昭和五十二年に十五代を継承、四年後に五十六歳で亡くなった。
●十六代 一閑 1963~
 十五代一閑の長女、名は里美。
 平成十年に十六代一閑を襲名した。