加藤作助 織部 水指(十三代即中斎書付)
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(税込 ¥66,000)
通常価格 ¥120,000 (税込 ¥132,000)
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商品番号:7637224
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表千家
千利休を祖とし、二代千少菴を経て三代千宗旦の三男江岑宗左からはじまる。不審菴ともいい歴代の名乗りは宗左。
●四代 江岑宗左 1613~1672
名は右馬之允(うめのすけ)といい茶名ははじめ宗受のち宗左。
寛永十九年(1642)紀州徳川家に仕え、その際藩主から系譜や由緒書等を微されたため千阿弥を祖とする千家系譜が成立。
好みの道具としては、唐銅鳳凰風炉・大朱手桶・三木町棚がある。
寛文十二年に亡くなる。
●五代 随流斎良休 1650~1691
幼名源三郎。宗旦の娘のくれと久田家二代宗利との間に生まれ、寛文のはじめ(1661)ころ表千家に迎えられた。
はじめ宗巴のち良休宗左と称し、随流斎の号は大徳寺一渓宗什から授与された。好みものには蔦茶桶が有名。
実家久田家から兄宗全の子を養子に迎え、元禄四年四十二歳で亡くなった。
●六代 覚々斎原叟 1678~1730
幼名勘太郎、久田宗全の子。
十二歳の頃随流斎の養子となり宗員の名で修行した。十四歳のころ養父に死別して六代を継ぎ宗左を名乗り、流芳軒と号した。別号の原叟は没後の追号。
亨保八年江戸に上ったおり将軍吉宗から唐津の茶碗を与えられた。桑原茶碗という。
随流斎の三女である妻の秋との間に如心斎・宗乾・一燈の三子があり如心斎は七代を継ぎ、宗乾・一燈は裏千家の養子に入り七代最々斎・八代又玄斎となった。
好みの茶道具は多く桐木地三重棚、菊桐蒔絵雪吹大小、ぶりぶり香合、松の木四方盆、手付置籠、少阿弥陀堂釜、網絵懐石家具一式などが有名。茶室の好みには原叟床四畳半、枡床四畳半などがある。
●七代 如心斎天然 1705~1751
幼名与太郎のち宗巴、宗員。六代覚々斎の長男。
二十六歳で家元を継承、如心斎の号は紀州候から受け丁々軒とも号した。また天然の号を大徳寺の大龍宗丈から受け、椿斎の号ある。
紀州徳川家の庇護および三井八郎兵衛の経済的援助を受けた。
如心斎は大徳寺の無学宗衍・大龍宗丈、弟の裏千家八代又玄斎、塗師三代中村宗哲らと七事式を制定し、これに適した八畳床付の花月楼を好んだ。
元文四年(1739)利休百五十回忌に当たり利休堂を建立。
●八代 啐啄斎件翁 1744~1808
幼名与太郎。七代如心斎の長男で八歳のとき死別、川上不白らの援助を受け叔父の裏千家八代又玄斎の指導を仰ぎ茶湯の修行に励んだ。
十四歳のとき宗旦百回忌を迎えそれを機会に宗左を名乗り八代家元を継承。
天明八年(1788)大火により茶道具以外全てを焼失。
好みの茶道具としては不審庵西の坪の松の大木で好んだスリ漆丸香合、鉋目敷板、松の木溜塗丸卓、鉄道安風炉、蔦平茶器などがある。
文化元年還暦を迎え隠居し宗旦を名乗りそれを記念して干支にちなみ、啄元弥介に赤黒の甲子茶碗を作らせた。
● 九代 了々斎曠叔 1775~1825
幼名貞蔵。久田家六代宗渓の長男。
八代啐啄斎の長男と長女は早世しあとに三人の娘がいたが、その上の娘沢の婿養子として久田家から迎えられた。
三十四歳で九代を継ぎ紀州徳川家に仕え、和歌山西浜御殿のうちに実際庵の三畳台目の席を好んだ。
また文政二年春、楽家十代旦入とともに出仕し製陶にたずさわり、文化十三年(1816)に大徳寺剛堂宗健から好雪軒の号を受けた。表千家の総門をなす武家門は文政五年四月、紀州徳川家の治宝を迎えた節に建てたものと伝えられる。
好みの茶道具に青漆爪紅長板、真塗小手桶、金入灰器、朱黒網絵懐石家具などがある。
● 十代 吸江斎祥翁 1818~1860
九代了々斎には男子があったが早世、また弟の皓々斎は久田家に留まり
啐啄斎の娘きとを妻としていたのでその子、達蔵を迎え十代家元とした。九歳であったため後見に住山楊甫が当たり十歳のとき紀州家に出仕した。
天保七年(1836)徳川治宝は吸江斎に台子真点前の皆伝を授けた。
天保十年利休二百五十回忌を務め追善茶会を催し、弘化二年(1845)大徳寺拙叟宗益より安祥軒の軒号を与えられた。のち、如心斎百回忌・宗旦二百年忌などを営んだ。
好みの茶道具には溜二重棚、手付桐煙草盆、玉の絵棗などがある。
●十一代 碌々斎瑞翁 1837~1910
幼名与太郎のち宗員、吸江斎没後宗左を名乗った。十代吸江斎の長男。
二十余歳で十一代を継いだが間もなく明治維新を迎え江岑以来の紀州徳川家の出仕のこともやみ、家元にとって苦難の時代を迎えたが、明治十年を過ぎると茶道界も近代の茶道としての第一歩を踏み出した。
明治十三年北野天満宮に献茶奉仕、栂尾高山寺で明恵上人六百五十回忌に際し供茶をした。同二十三年には利休三百年忌、また随流斎二百年忌の追悼茶事を行った。
明治二十五年隠居して宗旦と称す。同三十九年表門を除く家屋の全てを焼失したが同四十二年には残月亭のみ復興した。
好みの茶道具では既望棗、ふくべ釜がある。
●十二代 惺斎敬翁 1863~1937
十一代碌々斎の長男で、碌々斎が早く隠居したため十二代を継承したが重要な行事は碌々斎が主となった。
碌々斎の没後は表千家復興のため努力し大正二年(1913)に不審庵の再興、同十年には松風楼を増築した。
好みの茶道具は歴代の中で最も多く、その多くは千家十職によるもの。また鎌倉彫、萩焼、膳所焼、薩摩焼なども多い。
惺斎の嫡男与太郎は昭和十年に宗員号を大徳寺の円山伝衣から受け、弟の覚次郎とともに、病気がちであった惺斎を助けるはずだったが父に先立って四十歳で亡くなった。
●十三代 即中斎無盡 1901~1979
十二代惺斎の次男。長兄宗員の早逝により昭和十二年宗左を襲名。
昭和二十四年財団法人不審庵を設立、同五十年には表千家同門会を社団法人とし機関誌「同門」を発行。
昭和五十四年七十九歳で亡くなる。
●十四代 而妙斎宗左 1938~
名は岑一郎、十三代即中斎の長男。
中央大学卒業。昭和五十五年十四代家元を襲名した。
瀬戸焼
瀬戸焼(せとやき)は、愛知県瀬戸市とその周辺で生産される陶磁器の総称。日本六古窯の一つ。瀬戸エリアで焼きものが作られ始めたのは古墳時代までさかのぼり、中世期に釉薬を施した陶器を生産していたのは瀬戸のみであった。
鎌倉時代に加藤四郎景正が、宋から施釉陶器技法を伝えたのが瀬戸焼の創始といわれ、灰釉・鉄釉を使った陶器生産が始まる。室町時代には日用品が多く作られていたが、桃山時代からは茶の湯の隆盛に伴って茶器が多く生産された。
鎌倉期の灰釉・鉄釉に加えて、 黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部・鉄赤の釉薬が用いられる。
加藤作助(かとう さくすけ)
陶芸家。愛知県瀬戸市。
初代加藤藤四郎景正の流れをくむ一門。
加藤藤四郎景正は貞応2年3月道元禅師について唐に渡り陶技を学んだ後、安貞2年に帰国し瀬戸に窯を築いた人物で、瀬戸焼の祖といわれる。後に景正10世仁三郎政高が室町末期の永正年間(1504〜1520)に赤津に分派して陶業を営み、近世の陶工、加藤唐三郎・加藤仁兵衛・加藤作助・加藤太兵衛の家祖となったとされる。
江戸時代後期に景正23世景清(のちの寿斎)が初代作助を名乗った。当代は5代目加藤作助。
・初代 加藤作助(1808〜1893)
江戸後期〜明治時代の陶工。
文化5年、尾張(現在の愛知県)生まれ。名は景清、号は寿斎。
赤津窯分家加藤景元の7代を継ぎ、伝統を受け継いで茶器・酒器を作陶した。明治26年没、享年86歳。
・二代 加藤作助(1844〜1923)
幕末-明治時代の陶工。
天保15年、初代加藤作助の子として生まれる。名は景義、号は春逸・春仙。
赤津窯分家加藤景元の8代を継ぎ、茶器・酒器を作陶。大正12年没、享年80歳。
・三代 加藤作助
北大路魯山人とも親交が厚く、魯山人が足繁く窯を訪れた。
・四代 加藤作助(1909〜)
昭和7年京都高等工芸学校陶磁科卒業後、京都陶磁器試験場で学ぶ。昭和10年の修了後、瀬戸に戻り父祖伝統の窯を継承。1983年、愛知県指定無形文化財陶芸(織部・黄瀬戸・御深井焼)の保持者として認定された。
・五代 加藤作助(当代)(1940〜)
東京藝術大学彫刻科卒業ご瀬戸に帰郷し父と共に作陶する。1969年に日本伝統工芸展入選、以後数多くの入選・受賞を果たす。66年には東京芸術大学院美術研究科陶芸講座を修了し、68年より愛知県立芸術大学美術学部非常勤講師となり、92年には同大学教授(現:名誉教授)に就任。その他、日本工芸会理事、東海支部幹事長、瀬戸陶芸協会会長などをつとめる。
作陶活動に加え、愛知県立芸術大学の陶磁専攻科設立に携わり、定年まで教授として指導に携わり多くの陶芸家を育て上げた。
2002年には織部・黄瀬戸の愛知県無形文化財に認定され、2006年に5代加藤作助を襲名した。
織部焼(おりべやき)
織部焼は16世紀の終わりから17世紀の初めにかけて現在の岐阜県東濃地方で生まれた焼物で、美濃焼の一種。
千利休の弟子であった大名茶人・古田織部が好みの茶器を焼かせたのが始まりで、織部好みの斬新で奇抜な形や文様の茶器などが多く作られた。一般的に歪んで多角形のものが多く当時としてはとても奇抜な焼物であった。
成形には型が多く用いられ、色彩は黒、濃緑、赤などが多い。釉薬の色になどにより、織部黒または黒織部、青織部、赤織部、志野織部などに分類される。織部黒・黒織部は茶碗が殆どで、それ以外の織部は主に食器類が作られている。
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